「大江山いく野の道も遠ければ
まだふみもみず 天の橋立」
この平安時代の歌人・小式部内侍が詠んだ歌は百人一首にも選ばれています。
宮津で育った人ならば、誰もがこの歌だけは覚えているといるというくらい馴染み深い歌です。
小式部内侍は年少ながら非常に歌が上手いと評判でしたが、
あまりの上手さに母の和泉式部が代作しているという噂がありました。
和泉式部は同じく百人一首にも選ばれた歌人で、この歌を詠んだ当時、
夫の赴任先である丹後で暮らしていました。
権中納言定頼が小式部内侍に意地悪な質問をしてやろうと、
「丹後のお母さんの所に、代作を頼む使者は出してその使者は帰って来ましたか」
という意地悪な質問をしたとことろ返したのがこの歌だと言われています。
「大江山へ行く野の道(生野の道)は遠いので、まだ行ったことはありません。
さらに先の天橋立も踏みしめていません。もちろん丹後にいる母のからの手紙もみていません。」
「生野」と「行く」、「踏みもみず」と「文も見ず」を掛けた見事な歌を即興で返しました。
定頼は、当時歌を詠まれれば返歌を行うのが礼儀であったにもかかわらず、
その歌の出来栄えに驚き、返歌も出来ずに立ち去ってしまいったといわれています。
見事に、小式部内侍は自分の才能を歌で証明してみせたのです。